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魚と来客は2日目から臭いだすパート2

結局Sさんの提案で午後から大分観光へお連れすることとなった田子作夫妻。

「わぁ!ワニが居ます!本物のワニが!!」
誰よりも愉しむエーコ。

少し離れたところで田子作はSさんのゆったりとした歩調に合わせ話しながら後をついてゆく。

「商売はどないや?」
唐突にSさんが切り出す。

「え?あ、顔に出てました?」
田子作は店の現状を何とか打破しようと常々考えていた。Sさんとの会話もどこか虚ろだったのかもしれないとすぐに反省した。

「お客様は来てくださらないものや。どんなに努力しても案外関係ないんやな。」
飄々とした風貌の初老の紳士はどこか遠くを見つめるように話す。

「そうなんですよね。美味しさを追い求めても安さを追求してもそれだけではダメなんですよね。」
呟くように答える田子作。

「安さを追求するのは金がある大手がすることや。物事は大きな視点から考えて細部に至るもんや。目先の客の動向よりもお前さんがどうやって社会の役に立ちたいかが問題や。」
大きな目の奥に大企業を育てた男の強烈な使命感が宿る。

「そうですね。目先の支払いの心配より効率よく人の役に立つ方法を考えるほうが先決ですよね。分かっちゃいるんですけど、どうしても視野狭窄に陥ってしまうんですよ。まだまだ未熟者です。」
恐縮する田子作。

「うわ~、この蓮の葉、人が乗れるんですよ!!」
一人だけ観光気分を堪能するエーコ。

「買ってやった、食ってやったとか言う客は相手にしたらアカン。買わせて頂いて有難うゆうて感謝される商品を売ることが肝心やな。」
田子作の顔をチラリと横目で確認するSさん。

「感謝される商品ですか?うーん、なかなか難しいですね。」
頭を掻き、悩む田子作を優しい眼差しで見守るSさん。
そんな二人を遠くから羨ましそうに見つめるエーコ。

「Sさんも泥棒猫です。」
膨れっ面でぼやいている。

「どこかの国のことわざに『魚と客は2日目から臭いだす』ちゅうのがあるらしい。わしもそろそろ臭いだしたはずやな。今日帰るわ。」
いきなり別れを告げられ田子作は慌てる。

「どうしたんですか?うちなら一向に構いませんよ。もう少し居られませんか?」
エーコの不満がバレていたのかと肝を冷やしている。

「いや、もう充分楽しませてもらった。ほんま有難うな。」
改まった顔つきで深々と頭を下げるSさんに田子作も慌ててお辞儀をする。

「やめてくださいよ、私の方こそためになるお話を聞かせて頂いたんですから。」

もともと紙袋一つで来たSさんに帰り支度など無く、別府観光の帰りに駅まで送ることとなった。
ホームで列車の到着を待っている3人。

「もう夏や。九州の夏は暑いんやろうな。」
独り言のように呟くSさんに応えてよいものか迷う田子作。

「暑いですよ。特に田子作主人の回りは真冬でも。」
エーコがSさんの言葉を拾った。

「ほう?かっかっか、そりゃあエエことやな!」
急に元気な表情になるSさん。

「はい!」
元気に応じるエーコ。
横で顔を赤らめる田子作。

「こりゃええコンビや。奥さん大事にせなアカンで。」
Sさんは田子作の左肩にそっと手を置く。

「もう十分すぎるくらい大事にしてますよぉ。」
照れてまともにSさんの顔を見れない田子作。

列車が予定通りの時刻にホームへ滑り込んできた。
サンダルに紙袋を持った初老の紳士。一歩間違えれば浮浪者にさえ見えてしまいかねない。
そんなことはまるで気にしない風のSさんに田子作は一種のあこがれを見た。

列車の扉が開きいよいよ乗車する段になってSさんが田子作の方を振り向いた。

「ワシな、ようやく最近になって自我が芽生えたんや。」
突拍子もない話をこのタイミングで切り出したSさんに、思わず噴き出した田子作。

「自我って、もうそろそろ人生終わるころやないですか!」
珍しく調子に乗ってツッコミを入れる田子作。

「うーん、自我ちゃうな。天命やな。」
早く乗らないと扉が閉まると横でエーコが焦るのを余所目にSさんは腕組をして自分が何を言いたいのか考えこみ始める。

「天命ですか?多分早くこの電車に乗ることじゃないですか?」
まだ先ほどの話がおかしくてふざけている田子作。

「そやな。とりあえず乗らんとまた泊めて貰わんといかんなるな。かっかっか。」
楽しそうに笑うSさんに田子作は満足していた。
軽く手を振ってSさんは入り口に消える。
田子作達が見える窓側の座席に座りもう一度手を振るSさん。
夫婦は今となっては名残り惜しい気がしている。

「今度はもっと時間を掛けて大分中をお連れしますね!!」
聞こえたか分からないがSさんは何か言っている田子作に応えるように何度も頷き窓に手を掛けている。
出発を告げるベルの音のあとに列車は静かに滑り出し始める。
田子作達はいつまでもSさんの乗った列車を見送り続けていた。
やがて列車の影も形も無くなったが一向に動こうとしない田子作にエーコは不安を覚え顔を見上げた。
エーコは、田子作の頬を一筋の涙が光っているのを発見し驚いた。

「そんなに寂しいのですか!?」

「ばか!最後の言葉は俺に当てた言葉やったことに今気が付いたんや!」
悔しそうにも見える表情で男泣きする田子作。

「どういうことですか?」
良く分からないといった表情で田子作の顔を覗き込むエーコ。

「商売の前に天命に素直になれってことだ。」
噛み締めるように言葉を発したがそれ以上は声にならなかった。

「もっと分かり易く言ってもらわないと私は気が付きませんでした。」
不満げなエーコを余所に田子作は深々と列車の去っていった方向にお辞儀をするのだった。

P.S
今は亡きSさんのご冥福を心よりお祈りいたします。