第2話 頭痛の種の始まり
「うぅ・・うぐぐ・・ぐぁ!やめろ!やめてくれ!」
真っ暗い部屋のベッドの上でもがき苦しむ青年。
「だ、だれが勝手に話しかけて来るんだ・・・うぐっ!頭が割れそうだ・・・助けて・・・誰か・・・た、田子作さ・・・助けて・・・」
遂に男は気絶した。
ベッドのヘッドボードの棚に置かれた目覚まし時計は2021.7.13 AM2:38の文字を眩しいくらいに表示している。
「おー、良い天気だ!!7月も残り半分、今日も頑張るぞ!!しかし昨夜の地震は激しく揺れたな。」
「え?地震があったのですか?熟睡してて気が付きませんでした。西田原さん大丈夫だったかな?それにしてもこんな朝早くにどこからその元気が湧いて来るのですか?」
隣で眠そうに目を擦るエーコ。
「良い食材で美味しく作った料理を食ってたら元気だって普通に湧いてくるだろうが。」
「確かに田子作さんの料理を食べ始めてからかれこれ10年近くなりますが一度も病気になったことは無いですね。」
「うんうん。」
上機嫌な田子作はエーコを置いて店の真向かいの神社へ一方通行の道路を横切ってゆく。
「ちょっと私を置いて行かないでくださいよ。」
エーコも田子作の後を小走りで追いかけて通りを渡る。
二人は鳥居の前まで行くと立ち止まり、手を合わせて『鳥居の祓い』をブツブツと唱え始めた。
神様好きなエーコは最近神道にはまっているらしくネットで見つけたこの呪文を鳥居をくぐる前にすることを田子作に勧めたのだった。
もともと田子作は幼少期に信心深い祖母に育てられたため何の抵抗もなかった。
かといって特別な宗教観も儀式も祝詞にも興味のないまま大人になった大抵の日本人代表のような男でもある。それでもエーコに「縁起が良いから」と強く勧められると断る理由も無く、毎朝のこの儀式は定着してしまったのだった。
参道の左側を歩き、手水鉢の所で直角に曲がり前まで進むと竜神様を象った水道口に深々と敬礼して鉢の前に進む。左手に乗せた5円玉に水を掛け、ついで右手に水を注ぐとその水を軽く口に含む。
口内でクチュクチュさせるとペッと吐き出す。
手水鉢へ再度敬礼をすると参道へ戻り本殿へと歩を進める。
釣鐘を大きく揺すり鈴がなったのを確認したら二礼二拍手一礼をお手本のような動作でこなす。
柏手のタイミングも完璧。
「師匠、そんなことよりどうしますかこの在庫。」
ファミリーレストランの大き目のテーブルに在庫表なる資料を広げエーコは田子作に意見を求めている。
「さてどうしたものかな。」
腕を組んで考え始める田子作。
プルルルル
田子作の携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし。」
レジの後ろの壁掛け時計は午前8時を回っていた。
「いやぁ朝早くからすみませんね。田中です。今お時間よろしいですか?」
50歳過ぎの男性と思われる渋い声が聞こえてくる。
「大丈夫ですよ。」
毎朝3時から活動開始する彼らにとってこの時間帯は一番脂が乗っているのである。
「実は私の母の物件ですがね、風内町のビルの1階なんですが・・・」
そこまで言うとどう話せばよいのか少し考えているように言葉が尻すぼみになる。
「はいはい、以前ご相談されてた物件ですね。」
軽妙に受け答えする田子作。
「そう、その物件なんですが、インド人のカレー屋がとうとう家賃滞納のまま夜逃げしてしまって困ってるんですよ。」
ホッとしたのか一気に核心に迫ってきた。
「後片付けがですか?家賃の督促ですか?それとも活用する良いアイデアがないかということでしょうか?」
商売の匂いに敏感な田子作の脳内ではすでにいくつかのシナリオが構築され始めていた。
「片づけるとなるとかなりお金が掛かってしまうんですよ。そこで経営コンサルタントの田子作さんのお知恵をお借り出来ないかと思いまして。」
ここまで話せば田子作が逃げたりしないことは百も承知の相手。
「そうですね、こんなのはどうでしょう?私が主催する経営学習会のメンバーたちの商品を私たちが委託販売手数料を頂いて取り扱い、参加者には当店への手数料とは別に大家さんに一人1万円の家賃を課すんです。これなら中心市街地の一等地に自社で伸るか反るかの出店をせずに売り上げを見ながら撤退をするという事も可能なので大家さんにとっても店子さんにとってもウィンウィンではないでしょうか?」
「それは良いアイデアですね!!」
嬉しそうに電話の向こうの男の声は上ずっている。
「もちろん当店も自社商品を販売するので毎月家賃1万円を支払いますよ。」
「いやぁそれは有難い!!田子作さんは家賃無しでも良いくらいですよ!!」
「いえいえ、もし店子さんたちの売り上げが芳しくなく全員逃げたら困るでしょうから。きちんと当店もお支払いいたします。それで期間はどれくらいでしょうか?」
「状況次第ではありますがとりあえず1年でどうでしょうか?」
「そうですね。1年もあれば大体の平均売り上げのデータも取れますから丁度良いですね。」
「いやぁやっぱり田子作サンに相談してよかった!!それでは店子さんたちと話が決まったらお知らせください。」
そそくさと電話を切るビルオーナーの息子。
「ふふふ、不良在庫の棚卸作戦が出来るぞ。」
不敵な笑みを浮かべる田子作に一抹の不安を覚えるエーコ。
「そういう時に限って上手くいかないことが多いですからね。」
「ばかやろう、上手くいってもいかなくっても旨い話なんだよ。」
「どういうことですか?」
「今、俺たちの喫緊の課題は?」
「逸品食材のネットショップでの過剰在庫の処理方法です。」
「幸いうちの殆どの商品はこだわりの絶品食材ばっか。」
「でも仕入れが高すぎて販売量も限りがあって困ってます。」
「ではその食材で料理を作ったら?」
「そっか!ほぼほぼ調理済みだからそのまま料理として飲食店で提供できるのですね!!」
「しかもキッチンはそのままだし、下準備に人件費を使わず調理済み食材を提供するだけなら簡単だろ?しかも注文があってから再加熱するから賞味期限いっぱいいっぱいまで冷凍保存可能!!」
「さすが田子作サン!!」
かくしてネットショップの不良在庫処理のため気安く飲食店を開店してしまった田子作たち。
2016年6月のことであった。