第25話 胸騒ぎ
プルルルー
「んもうっ!!忙しい時に誰よ!!」
文句を言いながら片手でクッキー袋の詰まったおかもちを車の後部座席に積み込む美奈。
「はい、もしもし?」
「あ、美奈ちゃん?今忙しい?井藤田いどだだけど。」
電話の相手は『便利屋の井藤田』だった。
「あ、井藤田さん!先日はありがとうございました!!」
美奈は女性らしい一オクターブ高めの余所向けの声で先日のアンテナ工事の礼を言う。
「あ、あいや、大したことじゃないけどね。」
若くて綺麗な女性からお礼を言われ照れる井藤田。
「ちょっと今忙しいので要件があれば手短にお願いします!」
テキパキと受け答えする美奈の忙しさを理解した井藤田は早速用件を伝える。
「ごめんね。実はさ先日の工事の際に小さなスパナを無くしちゃったんだけど美奈ちゃん見なかった?」
「あ、田子作さんからも言われたんだけど見てないですよ。」
片手で次々とおかもちを積み込む美奈。
「あ、そう?どこ行ったかなぁ?」
「あ、じゃあ見つけたら連絡するんで!」
そう言うと勝手に携帯電話を切ってしまう美奈。
「あ、切った。ったく今どきの子は!」
腹を立てる井藤田。
「あ、やばい。降ってきたじゃない!」
ポツポツと降り始めた雨粒の一つが美奈の頬に当たった。
美奈は大急ぎで残りのおかもちを積み込むといつもの如く車を疾走させて配達に出かけるのであった。
雨は徐々に激しさを増していった。
美奈の入居するビルの屋上の縁へりには小さなスパナが雨に濡れている。
井藤田が工事の際にそこへ何の気なしに置いて行ったものだった。
「・・・痛い・・・まただ。僕が何をしたというんですか!こんなにも信心深いのにこの頭痛は一体なんなんですか!!」
自室で天を仰いで神様に文句を言う西田原。
「これじゃあまともに働ける訳ないじゃないか。それなのに田子作さんときたら勝手に僕を出入り禁止にして!!くそー、カチンと来た!!」
地震予知による片頭痛のため片手で頭を押さえながらヨロヨロと部屋を出る西田原。
本人は全く望んでいない能力に振り回される西田原である。
鍵をかけ覚束ない足取りで階段を降り始めた西田原だが、階下から誰かが上がって来ている気配を感じ一旦足を止める。
そーっと階下を覗き誰が上がって来ているのかを確かめる。
服装の一部しか見えないがソレが誰だかすぐに分かった西田原は慌てて鍵を開けまた部屋へ戻ってしまった。
「やばいやばい、阿連木あれきさんだ。」
小さく呟くと固唾を飲んで60歳近いド派手な服装の女性が自分の部屋の前を通り過ぎるのを待つ。
しかし女性は一旦西田原の部屋の前で立ち止まる。
ドアの覗き窓から様子を窺う西田原。
いきなり女性も反対側から部屋の中を覗き込む。
目が合った。
「うわぁ~!」
西田原は思わず悲鳴を上げドアから飛び退いた。
「居るの?良い物あげるからちょっとドア開けて。」
甘ったるい声で女はドア越しに西田原に話しかける。
西田原は今更ながら口を手で押さえて居留守を気取る。
「居るんでしょ?ほらぁ早く早くぅ。」
ますます女は甘ったるい声で話しかける。
西田原はいつのまにかベッドで布団を頭から被って固まっている。
数分はそこにいた女もついに諦めたのかカツカツと2つ向こうの自分の部屋へと歩いて行った。
このマンションに引っ越してきてから一目惚れされた西田原は常に狙われている。
この1か月でベランダに干してあった下着も数枚無くなっている。
「怖すぎるんだよババァ!」
布団の中で小声で恨みの声を上げる。
この日は結局このまま家を出るのを諦める西田原であった。
昼間だと言うのに窓という窓のカーテンを閉め切りスマートフォンで何かのニュースを真剣に見つめる細身の男。
「いつの間に戻ってきたんだ?死んだんじゃなかったのか?」
ブツブツと呟きながら関連記事を隅から隅まで読み漁る。
「何かがおかしい。とりあえず病院を探してみるか。」
男は黒い帽子を目深に被ると部屋を出ていった。
男が立ち寄ったのはエーコが横池を探しに来た病院であった。
「あの横池さんの病室は何号室ですか?」
陰気な表情でサングラスをかけた男がナースステーションの若い女性看護師に声を掛ける。
「横池さん?んー、あ、もしかして3か月前に亡くなった横池さんのことかしら?」
田岡と胸のネームプレートに書いてある看護師は聞き返す。
「あ、違います、あ、もういいです。」
慌てて男は引き返していった。
「変な人。」
男の背中を見送りながら田岡は呟いた。
「どういうことだよ。やっぱり死んでるんじゃねぇかよ。じゃあ奴は一体誰なんだ?双子か?」
病院の廊下を足早に立ち去ってゆく細身の男は次の目的地へ向かう。
時折おでこを摩りながら痛みに顔を歪ませている。
サングラスを掛けてはいるが男の鼻の付け根は大きな裂傷の跡が見える。
鼻も若干横に曲がっているので陰気な顔がますます陰湿さを増している。
10分も歩かないうちに次の目的地に到着した。
『レストラン洗濯船』の店頭には沢山の駄菓子に混じって瓶詰の珈琲豆まで並べられている。
街路樹のホルトノキの木陰から様子を窺う。
「じゃあ卵買いに行ってきまーす!」
ポニーテールの小柄な女性が店から出て来た。
「誰だアイツ。」
エーコをジッと見つめる。
そんなことにはまるで気づかずに十字路を左に曲がり近所のスーパーへ歩いて行くエーコ。
「バイトか?嫁か?」
ブツブツと呟いていたら今度は田子作が大きなごみ袋を重そうに持って店から出て来た。
男は気づかれまいと更に木陰に身を潜めた。
「奴だ!間違いない!どうなってるんだ?」
男は混乱し始めた。
「んー?誰だろうあの人?うわー気持ち悪い。田子作さんを見てるのかな?大変だあ教えてあげないと。」
配達から戻って店舗の奥でお菓子の袋詰め作業に追われていた美奈だったが、道路の反対側の街路樹に身を隠しながら田子作を見ている男を発見したのだった。
プルルルー
田子作が店の外に隠している90リットルのポリバケツにゴミ袋を入れ終わった瞬間、エプロンのポケットに入れている携帯電話が鳴った。
「もしもし。」
「あ、田子作さん、こっちを向かずにそのまま店に入ってください。店に入ったらお伝えしたいことがあります。」
美奈の店から神社の角を曲がった田子作の店は丸見えである。
街路樹の男は道路の反対側で美奈の店のほぼ真正面に立っている。
田子作が美奈の店の方を見ると街路樹の男も視野に入ってしまい気づかれる可能性があったのだ。
奇妙な電話に首を傾げながらも言われる通りにする田子作。
田子作が店内に入ったのを見届けた美奈は早速切り出した。
「実は私の店の前の道路の反対側の街路樹の影から田子作さんを監視してる男が居るんです。気持ち悪い雰囲気なんでお知らせしとこうと思ったんです。警察呼びますか?」
テキパキと要点を伝える美奈に田子作は驚いた。
「何歳くらいか分かる?」
「帽子とサングラスで良く分かりません。でも細くて身長は高い方だと思います。あ、鼻がなんか変です。付け根が窪んでる?」
男の横顔から鼻の付け根の陥没具合が見て取れた。
「気づかれると危険だからもう監視しなくて良いよ。」
田子作は美奈を気遣う。
「あ、ちょっと待ってください。何かを見つけたみたいです!」
男が街路樹から離れて、通りの先をスーパーから卵を持って帰ってくるエーコの方へ歩き出したのだ。
美奈は咄嗟に電話を切って店を飛び出した。今にも男は道路の反対側のエーコの方へ横切ろうとしていた。
「エーちゃん!!」
美奈は大きな声でエーコに手を振った。
下を向いて歩いていたエーコは顔を上げた。
その途端、男は顔を目撃されまいと思ったのか顔を下げてエーコと反対側の歩道を通り過ぎて行くのであった。
美奈の機転でエーコは事なきを得たのだった。
「どうしましたか美奈さん?」
駆け寄ってきた美奈は安堵の表情を浮かべるのだった。
「ん?え?」
意味が分からず立ち尽くすエーコであった。