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第20話 夏の夜の夢?

「ピーチャン!!」

「痛っ!うんうん旨いか?」

ピー太郎に耳元で囀さえずられたせいでキーンと耳鳴りのする右耳を小指で穿ほじりながらも右肩のインコを愛おしそうに見つめる田子作。

大きな櫛切りのスイカの左端に田子作が喰いつくと右肩のピー太郎はスイカの反対側の端を啄ついばむ。

朝晩はエーコと一緒に田子作の部屋で食事を摂るようになって1か月以上が過ぎ、ピー太郎もすっかり田子作に懐なついている。

「このスイカ本当に美味しいですねぇ。」

櫛切りに大きくカットされたスイカに顔を埋うずめながら頬張るエーコ。

「夜でもこう暑いと食欲減退するからな。まずは冷たいスイカでも食ってからじゃないと何も食う気がせんだろ。それに大分特産日田だいぶんとくさんひでんのスイカは格別だしな。」

7分丈の短パンにTシャツの田子作とデニムのズボンにTシャツのエーコは小さなちゃぶ台を挟んで互いに胡坐あぐらをかいて座っている。

暑がりの田子作はほぼ年中この格好で冬にはパーカーを一枚羽織るくらいである。

エーコの方も活動的なのでスカートなど履いたことが無い。

肩まである髪の毛も一年中ポニーテールにしているくらいである。

「それにしてもこの豆腐も絶品ですぅ。他のが食べられなくなりますぅ。」

絹ごし豆腐をウルウルした目で見つめるエーコ。

「大事に食えよ。滅多に売れ残らんから普段は食べられんぞ。『尾の華』さんの豆腐は。」

下したショウガと刻んだコネギを乗せた絹ごし豆腐を口に運ぶと田子作はビールをクーっと呷あおる。

大分県中津市耶穂景だいぶんけんちゅうしんしやほけいと言えば深い山間の地域である。大分市だいぶんしから高速道路を使っても3時間はかかる所謂田舎である。

近くのこの県唯一の百貨店へ毎週月水金曜日に納品に来るのだが2年ほど前からついでにということで洗濯船にも納品するようになっていた。

大分中の旨い物には目が無い田子作が見逃すはずもないのであった。

「確かこの豆腐って150年以上前からの製法を守っているって言ってましたね。」

勿体ないのか小さく摘まみ上げた豆腐をチュルっと啜すするエーコは先日の取材時の話を思い出していた。

「今の全自動の機械製法では大豆毒のゴイドロイチンが残って喉に痞つかえて喰い詰まるんだってよ。それを除去するには釜の中でかき混ぜながら煮詰めてやる必要があるとか言ってたな。何にせよ『本物』は手間暇がかかるんだよ。」

一人一丁ずつもあった豆腐がもうほとんど残っていない。

田子作は箸先で皿に残った僅かな豆腐のかけらをかき集めている。

「だから一人でこんなに食べることが出来るのですね!大豆独特の臭みも無いから本当に食べやすいですね!」

「雨が続いたおかげで客足が減ったから珍しくも売れ残ってくれたんだ。感謝しないとな。」

「私のおでこを撫でるからですよ。そっか、豆腐が食べたい時はまた撫でてもらえば良いのか!」

「ごぉるぁ!店を潰す気か!!」

「嫌だなぁ、冗談ですよ冗談!」

「いや、お前の食欲は暴走列車並みだから信じられん。」

「ピーチャン!!」

「ほれ、ピー太郎も賛成しただろ!」

「焼き鳥になる?ピー太郎?」

田子作の背後へ隠れるピー太郎に思わず爆笑する二人であった。

開け広げられた窓からは三日月が雲の合間から顔を覗かせている。

「うーん、もう食い物じゃねぇーんだよな。」

極甘塩系トマト『トマト地主』の配達にきたトマト生産農業法人営業マンの通称『アイちゃん』は腕組みしながら思案する。

「そんなぁ。うちは食品しか取り扱ってないですよぉ。」

困った表情で『アイちゃん』に縋すがるエーコに思わず仰のけ反ぞる。

「そう言われてもなぁ。もう今どき『新しい味』とか『旨い物』って言っても少し待てば似たような物がコンビニで安く買えるからなぁ。わざわざ行列に並んでまで食いたいとは思わない人が多いんじゃない?」

ラジオパーソナリティーのように声が良いアイちゃん。彼の本名は誰も知らないので『アイちゃん』としか書きようがない。

毎回来店する際の彼の服装が楽しみなエーコ。

アイちゃんは毎回何かしらのテーマでファッションコーディネートして来るのだが、その独特のセンスがエーコには堪らなく面白く感じられるのである。

そんな独創的な発想の持ち主だからこそエーコの危機を脱する良いアイデアを持ってないかと期待したのであった。

「とにかく当店の商品で今後5か月以内に1万人以上の人に感動してもらわないとヤバいんですよぉ!」

必死の形相のエーコにタジタジするアイちゃん。

「馬鹿野郎、迷惑がってんだろうが!大体なんで5か月で1万人に感動してもらわなきゃいけないんだよ。」

「しっ!田子作さんは黙っててください!」

犬を叱りつけるように田子作を制するエーコにムッとする田子作。

カランコロン

「こんばんわぁ、ディナーって予約しないと駄目ですかぁ?」

動画編集者の森田が誰かを連れて店内に入ってきた。

「いや、今日はたっぷり仕込みがあるから大丈夫だぞ。」

田子作は快く応える。

「すみませーん、突然で。あ、こちら轟とどろき先生です。先日のカルミンのホセ役のオペラ歌手にして僕の大学時代の先生なんです。」

180cm近い長身の森田よりはやや低いが肩幅があるがっしりした紳士が軽く頭を下げ自己紹介をする。

「ここが旨いって森田君が言うんで付いて来たんですよ。私は轟とどろきと申します。以後よろしく。はっはっは。」

話言葉が既にオペラチックな轟の声が狭い店内に轟く。

「あ、じゃあ僕は今日はこれにて。」

気を遣う『アイちゃん』はそそくさと店を出ていってしまった。

「あ、ちょっと待ってくださいよぉ!」

エーコが止めようとしたがお玉で後頭部を田子作に叩かれた。

「痛っ!」

「馬鹿野郎、お客様におしぼりをお出ししろ。」

「ははは、相変わらずですね。」

森田が可笑しそうに笑う。

「まあな。」

少し照れくさそうに田子作が答える。

「そう言えば森田君から聞いたんですが田子作さんと森田君は彼が大学時代からの繋がりだとか?」

何を話してもオペラチックな轟。

「あ、彼が大学生の頃に私の主催する経営学習会に参加したのがきっかけで、以来10年以上のお付き合いなんですよ。」

「当時の僕は田子作さんの話の三分の一も理解できてなくて、周りの方に散々迷惑をかけてしまってたんです。」

照れくさそうに森田が説明する。

「あ、そう!じゃあ森田君とは私と同じくらいの付き合いですね?!」

感心する轟に恐縮する森田。

「そう言えば先日のオペラ、凄かったですね!神がかり的で鳥肌が出ましたよ。」

田子作が絶賛すると嬉しいいのを押し隠して平静を装う轟だが右足の貧乏ゆすりは無意識に出てしまっていた。

「そうだ!感動と言えば芸術家が専門家じゃないですか!!」

突然大きな声を上げるエーコに一同の視線が刺さる。

「トチ狂ったか?」

エーコを睨みつける田子作。

「森田さん、轟先生、1万人を感動させる方法を教えてください!!」

唐突に切り出すエーコに何事が起きたのかと怪訝な表情を浮かべる二人。

「いい加減にしろよ!」

田子作が怒る。

「ちょっと待ってくださいよ。何があったのか教えてもらってもいいエーコちゃん?」

この後エーコは肝心の理由については適当に誤魔化しつつも、5か月以内に1万人以上に感動してもらう方法だけでも伝授してくれないかと拝み倒し、日が変わる頃まで二人を足止めしたのだった。

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