第22話 家族
この年25歳になった田子作は庭師のアルバイトをしながら食いつないでいた。
日払いで得たなけなしの金はその日のうちに酒に変わっていた。
毎晩浴びる様に酒を飲んでは見知らぬ男たちに喧嘩を売って殴られるままになる。
それでも翌朝にはすっかり酒が抜けてしまい酒を買う金欲しさに苦しそうに働くのである。
まだ若い田子作には酒も喧嘩でのケガも心の傷を忘れさせるほどの効果は無かった。
見兼ねた庭師の親方が酒をやめ再婚をするよう諭すと半年以上世話になったその職場を去った。
誰の話にも耳を傾ける気など毛頭なかった。
それが幸せそうな人であれば猶更なおさらだった。
そのうち借金をしてギャンブルに手を出すようになっていった。
不思議なことにギャンブル運だけは強かった田子作は、水手みずてに泡で入手した金だとばかりに益々自堕落な生活へと落ちていった。
そんなある日、見知らぬ老人に拾われその老人の運転手として住み込みで働くことになったのだった。
「そこを右じゃ。何度言えば覚えるんじゃ、こら。」
後部座席から老人は田子作の後頭部のヘッドレストを杖の先で突つつく。
田子作は返事もせずにそのままの進路を進む。
「まあ見ててくださいよ。」
自信ありげな田子作に様子を見ることにした老人。
急カーブを切り、ブレーキやアクセルを何度か急に踏むと車はあるビルの前で止まった。
そこは地上数十階はある大きな会社のビルの正面玄関前だった。
「ね、断然こっちの方が早かったでしょ?」
ニヤリと自慢げに微笑む田子作だったが老人はムスッとした表情で車を降りる。
「運転が荒すぎるんじゃ!!」
ドアを閉める時に老人は怒鳴って行ってしまった。
やれやれと言わんばかりのジェスチャーをすると車を出す。
この半年間と言うもの田子作の仕事と言えば老人の運転手と料理番であった。
田子作は高校卒業後に都会にあこがれて家出をしていた。
大都会の路上で絵描きをしていたが勿論それだけでは生活することが出来ずに賄まかないつきの飲食店でもアルバイトをした経験があった。
おかげで料理人としても老人から重宝がられていた。
老人は何とか言う大会社の取締役で渋歌宗男しぶうた むねおと言う名前だった。
当時の田子作には老人の会社も世間にもまるで興味が無かった。
自由奔放だが老人が命令したことは全て卒無くこなし、どうかすれば老人の期待以上の細やかな仕事をするのであった。
運転以外は。
加えて出世や金に車や女にも全くと言って良いほど田子作は関心が無いので渋歌は気楽に彼に接することが出来た。
渋歌には田子作より3歳年の上の息子が居た。
だが大学卒業後は全く渋歌の居る実家に寄り付かない。
渋歌の妻は既に他界していた。
渋歌は仕事ばかりで婚期を大幅に逃した後に若いが病気がちな女性を嫁に貰ったのだった。
50歳を過ぎてからの息子は彼にとっては目に入れても痛くないほど可愛かった。
だがそれが仇あだとなった。
息子は徐々に我儘わがままになり、やがて街の不良達と行動を共にし警察沙汰を起こすこともしばしばとなった。
大学も裏から手を回して何とか入学させたがほとんど大学には通わず毎月40万円の仕送りでも足らないと電話してくる有様だった。
息子が大学4年の夏ごろから急に妻の様態が悪くなり、半年もしないうちにそのまま他界したのだった。
ついに息子は葬儀にも参列することはなかった。
後日息子から届いた手紙にはただ一言、『人殺し』の文字が書き殴られていた。
そんな渋歌の前に年恰好が良く似た自暴自棄な若者が現れた。
放っておけなかった渋歌は息子が使っていた部屋と服を与え、ついでに運転手や料理番もさせたのだった。
夜になると大酒を浴びるほど飲んでは家の柱にガンガンと頭をぶつける奇妙な癖のある田子作だったが渋歌が「うるさい!」と怒鳴れば静かにそのまま寝落ちするのだった。
息子に似ているようで息子以上に素直で器用な青年のことが段々と気に入ってきた渋歌は田子作との奇妙な同居生活を始めるのであった。
ある日、渋歌はいつものように田子作に行く先を告げて車を運転させた。
「一緒に来い。」
この日は車で待つのではなく同行するよう命令する。
不思議に思ったが言われるがままスリッパ履きで渋歌の後ろをついてある施設の玄関ホールを潜った。
そこは福祉施設のような場所であった。
「ここはな難病の子供たちの為の施設じゃ。」
そう言うとスリッパに履き替えロビーをツカツカと歩いて行く。
田子作も遅れまいと急いで館内用のスリッパに履き替え後を追う。
廊下の左右には明るく開放的な病室がいくつも連なっている。
廊下の一番奥の非常扉の前の右手の病室に入った渋歌。
田子作も病室の中を覗く。
病室には4つのベッドが2つずつ向かい合わせで置いてあり、そこには色んなチューブや機器類に繋がれた幼い子供たちが横たわっていた。
「こんな幼い子達に神様はなんでこんな試練を与えたのやら。」
渋歌は寂し気に呟く。
田子作は酒に酔っては自暴自棄に暴れまわる自分が恥ずかしくなった。
ベッドの子供たちを見ているうちに理不尽に命を奪われた息子と重なってきた。
一度は失われた父性が急に込み上げてきて涙が溢れ出して止まらない。
渋歌に気取られまいと静かに病室を離れトイレに駆け込む田子作の後ろ姿を静かに見守る渋歌。
その晩は豪華な料理がズラリとテーブルに並んだ。
「はて?今日は何かのお祝いの日だったか?」
思い出そうと考える渋歌に笑顔の田子作が待てずに答える。
「俺がこの家に来て明日で丁度1年なんだよ。」
気づけば1年も居候していた田子作に渋歌も少し驚いた。
「もうそんなになるかの?」
70後半になった渋歌からすると実の息子以上に可愛がってきた田子作だった。
田子作の方も渋歌との日々は父親を知らない彼にとっては本当の家族と過ごしたような貴重な時間であった。
「そこで突然だけど、俺、明日出ていくわ。」
勝手に料理に手を付け始める田子作に渋歌はあっけにとられた。
「それはまた急じゃな。」
余りの驚きで箸すら持つのを忘れている。
「今までありがとうございま・・モゴモゴ」
口一杯に料理を頬張り最後までハッキリ聞こえない田子作の言葉。
よく見ると口一杯に料理を詰め込みながら泣いていた。
「馬鹿垂れ。食うか泣くかのどっちかにしろ。」
静かに田子作を叱る渋歌。
徐おもむろに着物の袖から小さなハンカチを取り出し田子作に見えないように体を捻り自分も涙を拭ぬぐう。
そうして二人は黙ったまま料理を黙々と平らげて行くのであった。